どこぞの精神医が書いてました、物事に例外はない、って。それは、どんな原因があってどんな問題が起きるか、ってことにそうバリエーションはない、という意味だったように思います。こんな思いをしてるのは自分だけだ、と思うと辛いけど、同じように悩んでる人いるんだ、同じ悩み持ってる人がこんなふうにトンネルから抜け出てるんだ、と思うとちょっとは楽になりませんか?
悩んでるのは、辛いのは、あなただけではありません。どんな大企業の社長さんも、どんな大企業の社長の奥さんも、どんな大企業の社長の娘さんも同じなんですよ。あなたと。
大企業の社長さん→ヤマト運輸の小倉昌男氏。
この本が衝撃でしてねー。何が衝撃かって、小倉家が抱えていた問題とほとんど同じといっていいケース、コネクトロンでは何例も扱っているからです。
では小倉家の家族構成です。
ネタバレで結論をざっくりまとめますと
長女の真里さんは精神疾患でした。
引用:小倉さんにとって真里さんはアキレス腱だったのです。真里さんがわがままを言い、小倉さんがその面倒を見る。玲子さんは振り回される。そういう関係がありました。
では、なぜ真里さんは精神を病んでしまったのか、川上へと遡ります。
真里さんの母、小倉氏の妻である玲子さんも精神を病んでいました、過度のアルコール摂取が常態化して、奔放な娘と激しい諍いを起こしていました。
なぜ玲子さんはアルコールに逃げざるを得なかったのか。
原因その1:真里さんの素行について母親としての責任を責められた。
誰から?
小倉一族から。
原因その2:すでに大和運輸として成功をおさめていた小倉家にとって、玲子さんの出自は満足できるものではありませんでした。玲子さんは自分の実家が小倉家より格下であるとの引け目をずっと持っていました。小倉昌男氏の父、大和運輸の創業者である康臣氏からは嫌われ、死別、再婚を繰り返した康臣氏の妻からも玲子さんは虐められていました。
原因その3:昌男氏は妻を守る盾となりえなかった。
盾となる強さを持たなかった昌男氏は、また娘に対しても毅然とすることができませんでした。
引用:わがままな娘とそれを決して叱らない父
企業人としての厳しさとは裏腹に、昌男氏は家庭内では問題にとことん向き合うことはせず、表面を取り繕うことに徹していたようです。
向き合ってくれない夫、父、というのは妻や娘にとって寂しいもの。ボールを投げても返してくれないのですから。
自分の息子の名前に父と同じ漢字を使う昌男氏、創業者として、また家庭内では暴力もともなう絶対専制君主であった父親に、昌男氏もまた抑圧されていたことは想像に難くありません。
もしも、真里さんがお悩み相談者としましょう。
真里さんが精神を病んでしまったのは
↓
アルコールによって精神のバランスを崩してしまったおかあさんの「せい」
↓
おかあさんがそうなったのは、小倉家でいじめられた「せい」
↓
夫が舅から守ってくれなかった「せい」
↓
夫がそうなってしまったのは、専制君主のおじいさんの「せい」
さて、実はもうひとつの流れがありました。
真里さんのおかあさんである玲子さんのおかあさん、つまり真里さんのおばあさんですね、おばあさんのきみゑさん、この方も「ねばならない」で玲子さんを縛り付けた人だったそうなのです。玲子さんは実母と姑の両方からの抑圧を受けていたのですね。
真里さんは母親の不安定さをまともにひっかぶってしまい、真里さんが精神を病んでしまったのもいわば必然です。
真里さんが親にとって困った娘、奔放な生き方をしてしまったことについて真里さんを責めることはできません。だって真里さんがそうなってしまったのは、おかあさんのせいで、おとうさんのせいで、おじいさん、おばあさんのせいなのですから。
そして。
おかあさん、おとうさん、おじいさん、おばあさんを責めることもできません。だってこの方々たちにも、そうなってしまった原因を作ったものが川上にあるはずですから。
なので。
責めるのではなくて
おかあさんが心を病んでしまって辛かったよね
おとうさんが守ってくれなくて寂しかったよね
おじいさんが怖かったよね
おばあさんが怖かったよね
と、川下の人が川上の人から受けた仕打ち、それに伴う感情に寄り添ってあげることです。
だよね、と。
川下の真里さんは、川上の人々の思いを全部うけとめて、それがしんどかったのです。抱えきれなくなったのです。
人が心を病むとはそういうことです(器質的な場合をのぞいて)。
どうにも解決できない自分の問題、その救いを昌男氏は信仰に求めました。本業の事業以外に昌男氏が心血を注いだ慈善事業、弱いものに寄り添うという姿勢は昌男氏の洗礼名である「フランシスコ・アシジ」、アッシジの聖フランチェスコの精神につながるものでした。
参考エントリー:パペラキュウとアッシジの丘
超ざっくりまとめましょう。例外がない、みんな同じだよ、というのは、親の因果が子に報い、川上(親、先祖)から流れてきたものが川下(子)に積もり積もる、ということです。過去に向き合うことなしに、目の前の問題を解決することはできません(きっぱり。
子猫をくわえて安全なところに運ぶ親猫、その親の存在は子供に安心感を与えることでしょう。自分がそうも大切に扱われていたという記憶があれば、自分を大切にすることができるでしょう。
それがなかったから、それがなかったと思っているから、あなたは自分で自分を大切に扱うことができないのです。
大切にして欲しかったよね
愛して欲しかったよね
愛している人から愛されたかったよね
ヨシヨシ
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