転んだ時は痛いのです。痛いのに「痛くない、痛くない」と言われると、痛いと思っちゃダメなんだ、痛いと言っちゃダメなんだ、と思ってしまいます。そして「痛い」を出せない人になってしまいます。なので転んだ時には「痛いよね」「痛かったよね」と気持ちに寄り添うことが必要なのです。これが「ヨシヨシ」です。
「痛くない」が有効となるのは、その人からの言葉が既に効力を有している場合です。この人が「痛くない」って言うなら痛くないんだ、大丈夫なんだ、という絶対的な安心感を抱かせてもらえることです。「痛くない」と言う人との間に信頼関係が成立していないとできないことです。
参考エントリー:転んで歩けない子供をあなたはどうするか
さて、「痛くない」をさらに上回る魔法の言葉があります。
それは「痛いの、痛いの、飛んでけー」です。
飛んでけ、と言われて痛くなくなるなんて、ものすごいことですよね!!
「痛くない」と「痛いのとんでけ」の間には絶対的な違いがあります。
なんでしょ。
「痛いのとんでけ」は痛みの存在を認めているのです。痛くない、と言い聞かせることはしていないのです。痛みを認めたうえで、その痛みをなんとかしているのです。
みなさんご存知のように(知らんか)私は氣鍼医術のサイトの管理人です。サイトを作るにあたり必要にかられて氣鍼医術の本を何度も読みました。
氣鍼医術の仕組みを知るにつれ、四柱推命や易と同じく非常にシステマティックで(陰陽五行がベースなのは同じですからね)、この仕組みなら治って当たり前だよな、と納得させられたのです。
補瀉(ほしゃ)という言葉があります。
治療のやり方なのですが、補(ほ)は補うことで、瀉(しゃ)は悪いものを取り除くことです。素人考えでは、悪いものを取り除くのが先だろ、なんですが、補と瀉では補を先に行うのですよ。
なぜ補が先なのか、を教えていただきました。
参考エントリー:素人にもわかる補瀉の補
そして、補は「ヨシヨシ」で瀉は「痛いの痛いのとんでけ」ということをうかがいまして、なんか目からウロコが落ちましたよ!!
瀉より補を先にしないといけないのです。
つまり。
「痛いの痛いのとんでけ」より「ヨシヨシ」を先にしないといけないのですよ。
参考エントリー:痛いの痛いのとんでけー、をしてもらっても傷は治らない
ヨシヨシしないと、痛いのはとんでいかないのですよ。
痛かったよね、と寄り添った後でないと、「痛いの痛いのとんでけ」は効果を発揮しないのですよ。
痛くない、と言ってしまっては、痛いのを飛んでいかせることはできないのですよ。
そりゃそうです、「痛い」を否定しているのですから。
否定して無きものにしてしまったら、取り除くことはできないのですよ。
痛かったよね
痛いよね
何より必要なのは認めること。
痛みを訴えている人の言葉に耳を傾けること。
泣いてる子供を泣きやませようとするのは、親が子供が泣いていることに耐えられないから、辛いから、って言いますよね。
相手の痛みを共有すること、共感すること、それが「寄り添う」です。
痛かったよね
大切なあなたが痛いと、私も痛いわ
痛いよね
ヨシヨシ
と、ここまでして初めて、「痛いの痛いのとんでけー!」が効力を有するのですよ。
魔法の言葉、使うタイミングが大切です。
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