【愛情乞食】病気になったのは誰のせい?

みなさんご存知のように(知らんか)私は30歳になる直前に多発性硬化症を発症しました。多発性硬化症(以下、MS)は特定疾患(難病)に指定されている病気で、脊髄の神経が炎症を起こし神経を保護している鞘が傷つくことによってその神経が司っている臓器がダメージを受ける、というものです。発症してからのすったもんだは旧ブログの「溺れるものは藁をも掴む」シリーズに延々と書き列ねております。

 

膠原病:免疫が強いの? 弱いの? 自分の病気を知るために (シリーズ・骨の話) / 藤井隆夫 

 

私はMSって膠原病だと思ってたんですが違うんですねー。MSも膠原病も自己免疫疾患なのですが、膠原病は全身性でMSは臓器特異性なんだそうです。何をいまさらの不勉強ですが、読んでて痛かった。症例の描写とか画像が。そして、見たことも聞いたこともない病名の多さ、それを特定するための手間暇に、健康とまではいかなくても「普通」に生活できてるのって奇跡なんだな、と思わされました。

 

出産した時も思いました、子供ってセックスしたら勝手にできるんじゃなくて、いろんな偶然が重なった結果、僥倖としてやってくるものなのだ、と。

 

いろんな偶然を采配してる人、仮に「神さま」としときましょう。

 

自己責任論をぶつ人は「神さま」などの大いなる存在を無視している、「神さま」の存在を信じることが出来たなら人はそうも尊大にならず感謝の念を持って生きれるものだ、というのをどっかで読んで膝の皿を割りましたね!

 

私がずっと受け入れられずにいる考えで「それを選んで生まれてきた」というのがあります。この考え方を受けいられる人は、すべてを納得できている人ですよ。納得できていない人を納得させるためにこれを言ったって役に立ちません。

 

選択という考え方は私も使います。でもそれはこれからの未来に対してであって、生まれる前のことをとやかく言われても目の前の問題は解決しません。年明け早々に「それを選んで生まれてきた」的記述をツイッターで見て、それからずーっとモヤモヤしていたところ、とある方から「参考になるかどうかわからないけど」とある映画を薦められました。その映画を見て、そしてほかに読んだ書籍などでだいたい考えがまとまりました。

 

あまりおおっぴらに書けることではないので、鍵つきの記事にしようかなと思ってます。

 

以上、長い前振りでした。以下、今日の本題。

 

昨日、目についたツイート↓

https://twitter.com/sikano_tu/status/826755898014003200

 

何年か前に、子から親への恨みつらみばかりをまとめた本が立て続けに出版されたことがあったけど、ちら見した中に、母親から「はい、キャラメル」と渡されたものを食べたらコンソメキューブだった、ってのがあって、それはしたらあかんやろ、って思ったのを思い出しました。

 

悪意があってしたことよりも悪気ないほうが罪は重いといいますが、まさにその通り。されたほうが受けたダメージをしたほうはわかってくれないしね、そこへの怒りもありますよね。

 

母は心臓に支障があり、重症のリウマチでした。小さい時、なんで病気になったの?と尋ねたら、あんたを産んだせいや、と言われました。

ことあるごとに言われました。

 

言われてショック、という感じはなかったのですが、母を治してくれるところを一生懸命に探していたのは「私のせいなんだ」というのがあったのでしょうね。

 

そういえば、「あんたのせいや」と言われても、謝った記憶はないなあ。私のせいだなんて言わないで!と言ったこともありますが、だって事実だもん、と返されました。

 

母との絶縁までのすったもんだは「愛情乞食」シリーズで♪

 

お正月の帰省の際、そろそろ神戸に向けて帰ろうか、と支度をしている時にあらたまって言われました、「これを言うとあなたは嫌だろうけどね」、と。

 

生活の不安定さに説教でもくらうのか、と身構えました。

 

「私はね、あなたを産んだせいでリウマチになったのよ」と。

なぜこのタイミングでわざわざかしこまって言わないといけないのか、その場でキレました。そこからもう制御できなくなったのです。激しい言い合いの場にチビもいました。チビはだまって頭を抱えてこんでいました。

 

今回、膠原病の本を読んで思ったのですよ、いったいどこの医者が出産のせいでリウマチになるとか言うんや、言うわけないやん、ということは「産んだせい」でリウマチになったという考えは母の中で作り上げられたものなわけです。

 

病気を始め、自分の不本意なことの原因は自分が産んだ娘のせいだ、と思いたかったのでしょう。

 

私のせいなんです。

 

なんや、そんなに私のこと嫌やったんや。

 

産んだせいで、と言われ続けてきたことが今更ながらのダメージです。

 

家を出るための手段として結婚を選び、婚家でも嫁いびりをされ、健康を損なって出戻って、実家でも受け入れてもらえず、人生が思い通りにならないことの原因は産んだ娘のせいだと思いたかったのでしょう。

 

常日頃申しておりますように、「せい」というのは相手を裁くものではありません。あくまで自分を罪悪感から解放するための手段です。でも、それは決して相手に言ってはなりません。だって言うと相手が罪悪感を抱くから。あくまで自分の中で処理すべきことなのです。

 

私は、母をリウマチにさせてしまった、という罪悪感をずっと抱いていたのです。

 

いっそ、本当に産んだせいでリウマチになられたほうがマシです。そんな事実はないのに母の中では「娘を産んだせい」になってしまっているのですから。これは結構キツイですねー。

 

以上、「膠原病」という本を読んでたどりついたもののレポートでした。

 

以下、ご連絡。

 

今ではMSという持病があることもすっかり忘れてしまっていますが、治るものではないのでうっすらと不安は抱えています。でも、たとえ症状が出てもどうにかしてくれる人がいる、というのはたいへん安心なものです。

 

どうにかしてくれる人 → 

 

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