「その5」の続き。
Cさんからまたまた長大なメールをいただきまして、それをそのまま掲載できたら楽なんですが、きっと「わたしも!わたしも!」と禿同の嵐だと思いますので。
禿同の嵐、ということはつまり、珍しいケースではない、ということです。ディテールに多少の違いはあったとしても、親に抑圧された子供、その子供がどうなるか、ということに例外はほとんどないのです。
Cさんから、学歴にこだわることのメリット、こだわらないことのメリットについて返信をいただいたのですが、たいへん大雑把に丸めますと、この方はまさに手段と目的をごっちゃにしてしまったから現在迷走されているのですね。
Cさんはめでたく入れてしまったのです。ここが「できる人」の困ったとこで、優秀な人は求められたものに応えることができてしまうので、壁にぶつかるタイミングがやってくるのが遅いのです。「できない人」は、親の望む大学に入れない、というとこでぶつかってしまうのです。
参考エントリー:医学部に入りたいのに入れない方へ
Cさんは無事に目的を果たされたのです。しかしハードルはひとつで終わるわけもなく、そしてハードルを設置するほうの親もハードルを設置することの意味がわからなくなってきてしまって、それを超える必然性に納得のいくものを提示できなくなる、ハードルを越えるほうも当然意味がわからなくなる、越えられなくなる、越えられない自分ダメポ、のスパイラルです。
「学歴にこだわるメリットは、どこそこの大学を出てるの~と言うのが、言いたかったからなんでしょうかね。今は、かえって恥ずかしくて言えません。」
実は私も学歴コンプレックスです。私も、じゃないですね、Cさんは学歴を誇れるのですから私とは違います。私にとって学歴は「恥」なのです。
ほんとは文系に進みたかった(かといって、やりたいことが明確にあったわけではありません、理系が苦手だっただけです。しかし苦手っていうのも、苦手だと思っていただけだった、と後々判明しましたが)けど薬学部に進むことを強制されました。文系だったらそれこそ名のある大学に行ける成績でしたが、理系では話にならず。偏差値がたいへん低い大学に入学する羽目になり、文系だったらもっといいとこ行けたのに!という実につまらん引け目がいまだに私を不自由にしています。
働きだしてから、学歴ってのは絶対ではない、とわかりました。それこそ学歴あったって役に立たない人はなんぼでもいますからね。学歴なくたって優秀な人はいくらでもいますからね。
「わたしは、学校の成績は、いつも悪くはないんです。基本、授業は出ますから。海外の大学ですら、クラスでも上位の成績で卒業したんです。授業に出ているし、レポートも提出しますし。でも、社会では通用しないのです。会社は、学校と違いますよね。真面目に働いても、結果が出なければダメですよね。学校の成績がいいと母は満足ですよね。成績なら、わかりやすいですし。仕事の評価や成績は、母にはわかりにくい。だから、海外でも無意識に評価されたくて、学校に戻ったのかも?」
これも私と逆なんです。私は学生時代は成績の悪いダメ子でしたが、社会に出てから「できる人」になったのです。自分で「できる人」ってのもどうかと思いますが、私はどの職場でも高評価につながる成果を出せました。
しかし富山の親族たち(母親だけではないというとこがポイント)には、大学をとんずらしてしまった私がどんなに世間で認められても意味がないのです。だって私は彼らが望むものをクリアできなかったのですから。
私もうっかり「できて」しまった。しかしいくらそれをやっても、私が欲しかった「親からの評価」は得ることができないのです。
そこはCさんも同じ、仕事で成果を出すことが親からの評価につながらないので頑張れないのです。
うわー、Cさんのことを書いてるつもりが、えらいこと自分に向き合う作業になってしまいましたよ!!
私が今の仕事でずっと悩まされている「頑張れない病」、それはいくらこの仕事で成果を出したって親からは認めて貰えないからです。頭ではわかっていましたが、いま腑に落ちました。
学歴にこだわらないことのメリット、「こだわらないことのメリット…なんだろう。学歴にこだわらなくていいなら、大学なんか行かなかったですね。勉強したくなかったし。専業主婦は、なりたくなかったですね。母を見て、幸せそうじゃないなと思っていたし。」
こだわらなければ大学に行かなかった、ではなくて、ほんとうにやりたいことを大学で勉強できたと思いますし、勉強したことが血肉になってそれを社会で活かせたと思いますよ。
ケーキが欲しかった、それを手にすることはできた、でもその味がわからない、おいしさの喜びを感じることができない、ってのがCさんの陥った状態なんじゃないかなー。
だったら、もっかい食べたらいいんですよ、おいしいはずのケーキを。ケーキ、おいしいじゃん!という感覚を取り戻したらいいんですよね。Cさんにもリハビリは必要です。
「だから、家にいるとボンヤリできないのです。かといって、掃除や家事をするわけでもないのです。昔は、とにかく勉強しろと言われていました。母も、そうだったんでしょう。母の立場は、妻や嫁ですけど、お手伝いさんのようなものでしたから。母は、それに抵抗もしないし、自分の立場は変えられないと思い、娘に自分のしたかったことを丸投げしたのでしょう。でも、母のしたいこともビジョンはないし、ただ父親に洗脳されて、知識があることは素晴らしい、ならば大学に行けばそうなれる、とでも考えたのでしょうかね。」
おかあさまのリベンジの代行をなさっています。頭ではわかっていることです。でもその作業が自分に及ぼしたダメージを実感できません。「母に対しては、正直いまだに激しい怒りはわかないです。もうアンテナが感度が悪いというか、ぶっ壊れているのでしょうか。かわいそうだったなとは思います。自分もですけど、母も。兄弟姉妹が多くて、母も人目をひくような容姿ではなく、結婚も遅かったですし、自分でなにかを切り拓くなんていう気概もなかったし。確かにそれは母の事情で、わたしにいろいろなことを押し付けていいわけではないでしょうけど。」
おかあさまに怒りを感じられないのは、それだけおかあさまが「かわいそう」だったからです、報われないおかあさまの姿は小さいCさんの心をさぞかし痛めたことでしょう。
子供が親の言いなりになるのは、親の望む子供になることで自分が評価を得たいからではなくて、自分の存在がアンハッピーな親を少しでもハッピーにすることができれば、という親を思う気持ちゆえです。
が、それを出来ないダメな自分、となってしまい、なぜそうしたかったのか、を忘れててしまっているのです。
おかあさん、かわいそうだった
それを見ていて辛かった
辛かったよね、とヨシヨシすべきなのは、おかあさんを見て心を痛めていたちっちゃいちゃんなのです。
おかあさん、かわいそう
ちっちゃいちゃん、かわいそう
続きます。
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