「その3」の続き。
Cさんから、超長文お返事を頂戴しました。
ブログ、読みました。今は、母と2人ですので、いろいろ話をします。長くなります。おそらく、カウンセリングでひと通りは、話したことなので、読み流してください。
母の場合、アンコントローラブルとは、まさにその通りでした。
父とその当時では遅い結婚した時、母が嫁いだ家には、父の両親、姉妹3人弟1人の大家族と同居でした。祖母が、非常に意地悪な人で、初めて作った味噌汁が不味いと作り直させられたそうです。
姉妹弟は、徐々に出て行きましたが、忍耐の日々だったようです。父は、鈍い人でまったく嫁姑問題には、無関心。それでも、母は祖父母2人ともを自宅介護しました。
母も、兄弟姉妹が多く、家も貧しくて埼玉の田舎育ちでした。大学に行きたかったけど、経済的に無理だったと。それで、子供には絶対に大学に行って欲しいとなったわけです。
兄は、そうそうにこの面倒くさい状態から離脱。なまじ、小中学校では、そこそこ成績のよかった娘に一点集中したわけです。でも、実際は父親の意向が強かったと思います。
父親は、子供の生活や学校のことは、母親に任せっきりでしたが、わたしが大学に進むことを望んでましたし、わたしの大学の成績がズタボロだったのに、大学院に進みたいなら援助する、と真顔で言い出すトンチキ親父でした。まったく娘のことがわかっていなかったです。
父も母も、学歴こそ命と思い込んでた世代です。父は、苦労して東京の私立の四年制大学を出て公務員になりました。とくに六大学でもなく、歴史に強いという大学の史学部でした。
研究者か教諭になりたかったそうですが、これまた家の事情で断念。ただ歴史好きでしたので、雑学だけはすごかったです。
母も、この点だけは父を尊敬していて、父のおかげで自分も教養が身についた、と言っていますが、彼女の学歴コンプレックスは、かなりのものがあります。
貧しい家だったので、贅沢とは皆無。確かに、父の安月給でも毎月賢くやりくりして、お金の貯蓄は見事です。
無駄遣いはしませんが、学費や教育費は出しますよ。今は、兄の子供たちの学費を払ってます。教育を受ければ、必ず素晴らしい未来があると信じています。
なので、大学まで出ているわたしが清掃業をしていることが、信じられないのです。
わたしは、大学は本当に勉強をしたい人や研究者や教員になりたい人が行くところだな、と今さらながら思っています。わたしは、勉強が嫌いでした。嫌いというか、できなかったです。高校を出て進路を決める時、もっと考えるべきでしたが、両親に洗脳されていたので、浪人してでもいい大学に入らないといけない、と思い込んでいたのです。しかも、歴史を学ばなければならない、と。選択肢はなかったですね。やりたいことは、考えられませんでしたし。
予備校の費用などは、すぐに出してくれました。海外でも、トラベル関係の学校に行ったことがあるんですけど、それもすぐ出してくれました。そう考えると、学ぶということには、いくらでも出してくれる親でした。
ところが、娘のわたしは、学校に行くことが親を喜ばせることだと思ってるので、それが身につかず。
そして、わたしは、すべてがばらばらの状態で苦しむわけです。母が理想とする自分、わたしが理想とする自分、そして現実の自分。全部バラバラ。ギャップがすごかったです。
大学を出たというプライドばかり、自分の中に残ってしまい、そこに固執してしまいます。先輩後輩、同期と、有名企業や起業してイキイキ働いてる様子に、猛烈に嫉妬してしまう。自分も、同じ大学を出てるのだから、そうなれたんじゃないのだろうか?と考えてしまいます。
でも、実際は自分は何もできない、人より劣っているのに、たまたま大学に入れてたまたま卒業できただけなんだよ、自分はダメ人間だという思いから、抜け出せません。
人より劣っていると植えつけたのは、母です。小さい頃から、あんたはバカだから、人より努力しないとダメなんだ、と言われてきたからです。学校に行ってる時は、バカだと言われることはないのに、なんでなんだろうと思ってました。いい点を取れば、喜んでもらえると。学ぶ喜びは、感じることはできませんでした。父は一流でもない大学出で、母は高卒。そこから、すごい秀才が生まれると信じていたのですかね?
母も、結局は、精神的に自立できなかった人なのかもしれません。高校を出て、母の兄が起業した印刷会社で仕事をして結婚。専業主婦で、父方も田舎の古い考えの人たちでしたから、そこで苦労したわけです。でも、お茶を習ったり、テニスをしたり結構生活を楽しんでいましたね。
娘には、勉強しろ勉強しろと言ってましたけど。
思春期には、父親を毛嫌いしましたが、母には反抗しませんでした。
昔から、子供は欲しくなかったです。絶対に、自分も母親のようになってしまうことが、わかっていたからです。
最近思うのは、わたしは少しアスペルガー気味なんじゃないかと。もちろん、真性ではないですよ。でも、当てはまることが多いと思います。空気が読めないし。感情の起伏も激しいし、何より思い込みが強いです。小さい頃は、ひどい癇癪持ちで、常にウズキュウメイガンを与えられていました。
もっと楽に生きられたらいいのにな、としみじみ思います。わたし、あんまり頭良くないから、わかんない、とか自然に言ってみたいです。いつもわかったふりを続けていました。そうしないとバカにされると思っていたので。バカにされることが、1番嫌で怖いことでした。自分を全否定されてる感じがしました。テストの点数とか、本当に誰にも言えなかったです。バカだと思われたくなかったし。だから、友達がさらっとテスト60点だったわ~、とか言えるのが羨ましくて仕方なかったです。
なんで、こんなにこじれてしまったんでしょう。なんで、こんなに人が羨ましくて、自分の生きてきたことが、人より劣ってるように思えるんでしょう。
母は、すっかり年を取りました。それでも、今も孫の進路をあれこれ言ってます。あんなバカ学校、行く価値はないね、とか、いまだに毒を吐いてます。自分だって、たいした高校出てないのに。いい大学出たって、絶対に幸せになれるわけじゃないよ、と言っても、そうだねと同意しつつ、やはり大学は出ないと、と言っております。実体験した娘が、言ってるのに。まあ、無駄ですね。
うわ~、長くなりました。やっぱり、母親のことは、たまってるんですよね。父親の意向を組んでいたとは言え、直接の言葉でわたしを傷つけたのは、母ですしね。
母への怒りがないわけではないのですが、結局どうしたらいいんでしょう。今さら、わたしはあの時こう思ってたの、と年老いた母にぶつけても…どうなんでしょう。ここ2年会ってなかったら、すごい年とっちゃていて。
いまだに、抑圧されてきたデメリットに気づけてないんですよね。だから、えんえんと繰り返してます。怒りかぁ、パートナーには、怒れるんですけどね。親には育ててもらった恩を忘れるな、という考えが刷り込まれているんでしょうか。懲りない、変われないのは、ここが問題なのでしょうか。
すみません。今、考えてることは、こんなところです。
長くなって、本当にすみません。
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長文ありがとうございます。聞いたことある話もありますが、初耳のものも。ツッコミどころがいくつかあります。
続く。
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