最近の履歴書って、昭和のものとは違いますねー。本籍地かかなくていい。家族構成かかなくていい。そしてないのが不思議なのが趣味欄。本籍や家族は個人情報うんたらで無くなったのはわかるけど、個人の趣味を書くことも個人情報に抵触するんですかねー。
みなさんご存知のように(知らんか)かつて私は履歴書の趣味欄にほんまに「献血」って書いてました。だってほんとに趣味なんだもの、献血。
献血のほかに書いたもの、読書、音楽鑑賞、洋裁、等々。ま、ありきたりなものです。
では、趣味とはなにか。
私は、仕事以外で時間やエネルギーを積極的に費やすもの、と定義していました。となると、じゃあ仕事ってなんなのよ?となってしまうわけですが、お金を稼ぐ手段とも言い切れないし。むずかしー。
本も音楽も趣味と片づけられるほど軽い存在ではないので、趣味欄に読書や音楽鑑賞と書くのがためらわれるようになり、献血に落ち着いたんですよねー。
趣味は何ですか?と問われたら、あなたはなんと答えますか?
「愛」が「LOVE」と翻訳されてしまったのが悲劇の始まりで、神への愛のアガペーと、相手を独占したいというエゴな愛がいっしょくたにされてしまったのです。
それと同じく(同じなのか?)翻訳の悲劇が「趣味」でして、趣味って HOBBY の訳ではなくて TASTE なんですって!!これが目からウロコ。たしかに「趣味のいい人ですね」ってときは、HOBBY ではなくて TASTE の意味合いで使ってますもんね。
趣味を持つということは、自分なりの TASTE を持つということなわけですよ。
じゃあ TASTE ってなんなのよ、と永遠に続いてしまいますが。
「趣味がない」と嘆かれる方がいらっしゃいますよね。そういう方はいわば、「やりたいことがわからない病」なのです。アンテナがたってないのです。やりたい仕事はあるけど、やりたい趣味がない、という方、それは趣味が仕事だからいいのですよ。よくない場合、それは仕事が単なる義務や犠牲でしかない場合でしょうね。その場合も心からやりたいことを見つける、という作業が必要となる時がいずれやってくることでしょう。
常々申しておりますように、私は人を構成するのはその人の「好き」と「嫌い」だと思ってます。これが好き、これが嫌い、というアンテナ、価値観。人が進んでいくためのアンテナを作り上げるのが、「好き」と「嫌い」というTASTE なのではないでしょうか。
やりたいことがわからない病を罹患されてる方のほとんどが、やりたいことをさせて貰えなかったという穴ぼこをお持ちです。どうせやれないから、と己のアンテナを磨くことを人生のごく初期にあきらめていらっしゃるのです。センサーを働かせていないからわからないのです。
やりたいことがわからなくて、趣味がないのです。TASTEがないのです。
さあ、どうしましょう。
リハビリしかありません。片っ端から手をつけて、足をつっこんで、それに自分のセンサーがどう反応するか、ってことを確かめていけばいいのです。その作業が錆び付いたアンテナをちゃんと作動させるようにしてくれます。
占いに尋ねてくださってもいいのですよ。でも、提示されたものにご自分のセンサーが反応しなければ、それは必要ないということ。もしくは感じるまでにセンサーが復活してない、ということ。
好き・嫌い、快・不快、喜怒哀楽、もろもろの物を感じることができるようにリハビリしてください。そうすれば趣味なんて勝手に見つかります。
っつか、見つけなきゃ、と思わなくて済むようになるでしょう。もしくは趣味ではない、と思っていたものの大切さに気づけるか。
この本の前書きに、手段の目的化について触れられていまして、つまり趣味ってのは「好き」というTASTEの結果としてそうなるのに、TASTEなしで趣味を持とうったってどだい無理な話です。
TASTEを鍛えるための手段として趣味を持つのはアリですけどね。
仕事以外で時間とエネルギーを積極的に費やすもの、いくらでもあります。読書、音楽、飲酒活動、文鳥との触れ合い、等々。でも、これらはいずれも趣味ではありません。私が大好きで大切なものです。
趣味とかって看板をわざわざ作る必要はなく、ただ、自分の好きと嫌いさえはっきりしてたらいいと思うんですけどねー。
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