【愛情乞食】1)茶化されるのがイヤだったワケ

ブログの更新が滞っております。ほんまに忙しくて書く暇がない時もあるのですが、これ、と思うネタがいくつもあってそれがまとめきれないときもそうなります。ほら、テストでわからない問題があった時に、それをすっとばして次に行けるか行けないか、の違いみたいなもんで。ひとつひっかかることがあると次に進めないんですよねー。で、それらすべてをまとめて、繋いでくれるものがやって来てくれるのです。ああ、そうか、これを迎えるために進めなかったのか、と納得できます。 

 

最初にひっかかったのはこれでした。

朝日新聞「人生の贈りもの〜私の半生」シリーズ 作家 落合恵子 

 

クレヨンハウスのオーナーさん、左よりのフェミでエコな人、ぐらいの認識しかなかった私を許してください。その落合恵子さんの認識を変えさせられたのがこちらです。その人のバックグラウンドを知って認識が変わるってのは、見る目なかったじゃん!ってことなんですけどね。

初回の「私の中には”私の子ども時代”という子どもがいます」という1文に目が釘付けになりました。これってちっちゃいちゃんだよねー、と。それから日々の連載を追いかけていったのですが、この方は婚外子だったのですね。シングルマザーが珍しくもないきょうびの方々には想像できないかもしれませんが、私の幼少期でさえ母子家庭というか父親がいない子どもという立場は、肩身を狭くさせられるものでした。それが婚外子となったら、親にも子にも注がれる視線は理不尽にも厳しいものでしたね。

 

そうか、落合恵子という人の左っぽく、フェミっぽく感じさせるものってその出自ゆえか、と納得しました。左、というのはメインストリームによって抑圧されるものの象徴、フェミは多数派に対しての少数派に加えて女性であることの理不尽さを味わったゆえ、でしょうね。

 

4回目の連載にまた目が釘付けになりました。

婚外子の私は幼いころから「屈辱的な匂い」に敏感で

 

膝の皿を割りましたね!!

 

そうか、茶化されるってことは私にとって屈辱だったのか!!!!

 

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